拉致問題と安全保障
2015年11月15日
荒木和博
拉致問題が国民的課題になるきっかけは平成9(1997)年2月3日、衆議院予算委で西村眞悟議員(当時新進党)が横田めぐみさん拉致について質問し、同日産経新聞と「AERA」が実名写真入りで報じたことでした。
私はこの前年秋から拉致問題に関わるようになりました。当時は海外事情研究所の客員講師で、この西村質問の2か月後、平成9年4月から専任教員になっています。大学の仕事と拉致問題の活動は関係ないのですが勤続年数と同じ18年間関わってきたことになります。
しかし、この間拉致被害者は蓮池薫さんら5人が13年前に帰国しただけで、残りは皆置き去りの状態です。安倍総理は拉致問題を解決すると何度も宣言してきましたが、結果は他の総理の時代とほとんど変わりません。
さて、何も進まない理由は何なのでしょう。実は非常に不思議なことながら、拉致問題は日本の安全保障からすっぽりと抜け落ちています。そのためこの国には拉致被害者救出に責任を負う国家機関がないのです。
例えばどこかの町で火事が起きたとき、消防署が放置していれば署長の責任が問われます。先日のペルー人の埼玉での連続殺人事件でも逃亡を許した警察の責任が追及されています。
しかし拉致問題になると、不思議なことに安保法制であれだけ安倍政権を批判した野党やマスコミも、救出できないでいることには批判はほとんどしていません。
救出できない責任はどの機関・部署にあるのでしょうか。外務省なのか、警察なのか、防衛省・自衛隊なのか、官邸なのか。少なくとも農水省や文科省ではないわけで、責任のない役所をはずしていけばどこに責任があるか明確になるはずです。しかし現実にはたまねぎの皮をむくように、最後は何も残らないのではないでしょうか。
ISの人質事件のときの政府の対応などと比べても政府の拉致問題への対応は不思議です。救出したくない、帰ってこない方が良いと思っているのではないかとすら思えます。あるいは拉致問題に手を付けてはいけないというのが日本の安全保障政策の根本にあるのではないか。そうでも考えないとこれだけ不作為が続いている理由が説明できません。その意味では拉致問題というのは国際問題である以上に国内問題なのだと思います。
荒木和博
拉致問題が国民的課題になるきっかけは平成9(1997)年2月3日、衆議院予算委で西村眞悟議員(当時新進党)が横田めぐみさん拉致について質問し、同日産経新聞と「AERA」が実名写真入りで報じたことでした。
私はこの前年秋から拉致問題に関わるようになりました。当時は海外事情研究所の客員講師で、この西村質問の2か月後、平成9年4月から専任教員になっています。大学の仕事と拉致問題の活動は関係ないのですが勤続年数と同じ18年間関わってきたことになります。
しかし、この間拉致被害者は蓮池薫さんら5人が13年前に帰国しただけで、残りは皆置き去りの状態です。安倍総理は拉致問題を解決すると何度も宣言してきましたが、結果は他の総理の時代とほとんど変わりません。
さて、何も進まない理由は何なのでしょう。実は非常に不思議なことながら、拉致問題は日本の安全保障からすっぽりと抜け落ちています。そのためこの国には拉致被害者救出に責任を負う国家機関がないのです。
例えばどこかの町で火事が起きたとき、消防署が放置していれば署長の責任が問われます。先日のペルー人の埼玉での連続殺人事件でも逃亡を許した警察の責任が追及されています。
しかし拉致問題になると、不思議なことに安保法制であれだけ安倍政権を批判した野党やマスコミも、救出できないでいることには批判はほとんどしていません。
救出できない責任はどの機関・部署にあるのでしょうか。外務省なのか、警察なのか、防衛省・自衛隊なのか、官邸なのか。少なくとも農水省や文科省ではないわけで、責任のない役所をはずしていけばどこに責任があるか明確になるはずです。しかし現実にはたまねぎの皮をむくように、最後は何も残らないのではないでしょうか。
ISの人質事件のときの政府の対応などと比べても政府の拉致問題への対応は不思議です。救出したくない、帰ってこない方が良いと思っているのではないかとすら思えます。あるいは拉致問題に手を付けてはいけないというのが日本の安全保障政策の根本にあるのではないか。そうでも考えないとこれだけ不作為が続いている理由が説明できません。その意味では拉致問題というのは国際問題である以上に国内問題なのだと思います。