コロナ騒ぎとは何だったのか
2023年10月
遠藤 哲也
遠藤 哲也
*本文をお読みいただく前に、是非、以下の当コラム・サイト内の私の過去記事をお読み下さい。併せて『海外事情』2023年1・2月号内のコラム「公衆衛生全体主義を看過してはいけない」や『年鑑海外事情2021』の「危機管理」の項目もご覧頂ければ幸いです。
2020年10月:危機対応にはリスク分析の考え方をhttps://www.takushoku-kaiken.net/column/202010/
2021年6月:大規模予防接種に関する情報の画一化https://www.takushoku-kaiken.net/column/202106/
2022年9月:もう、マスクをやめよう!危機管理には適度性が重要https://www.takushoku-kaiken.net/column/20220901/
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2020年10月:危機対応にはリスク分析の考え方をhttps://www.takushoku-kaiken.net/column/202010/
2021年6月:大規模予防接種に関する情報の画一化https://www.takushoku-kaiken.net/column/202106/
2022年9月:もう、マスクをやめよう!危機管理には適度性が重要https://www.takushoku-kaiken.net/column/20220901/
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昨年2022年5月にピュー・リサーチセンターが公表した米国民の調査では「新型コロナ」について「深刻な問題だ」と回答した人は19%しかおらず、12の社会問題中最低でした。一方、日本では延々とコロナ騒ぎが続けられ、ようやく本年1月末に5類感染症への移行やマスクの任意化(一度も義務化された事はないのですが)を対策本部が決定しました。巷は日常回帰しつつありますが、客足が戻らずの倒産・廃業も続いています。この騒ぎをこのまま忘却に任せるのではなく、日本の自由で活き活きとした社会が3年近くも奪われ、「新しい生活様式」などという日常を取り戻そうとしない奇妙な社会変革思想が現れたり、「無症状者からの市中感染」にばかりに焦点を当てた極端な対策が急に持ち上がっては、さしたるエビデンスも無く広められ、待機児童問題や、水道管や自衛隊施設の老朽化問題など資金が無くて解決できぬとされてきた各種社会問題を一掃できるほどの莫大な国費がその陰で投じられていったその実態や背景が国民的広がりをもって検証されるべきです。もう二度と、対象リスクに見合わず個人と社会への有害性ばかり高い「感染対策全体主義(公衆衛生全体主義)」を日本に出現させてはなりません。
日本で初の陽性者が出たとされる2020年1月16日からの丸三年での「新型コロナ」による一般公表死者数は約62,000人という事になっています。但しこの死者数は、「コロナで検査陽性だった人が死亡すれば厳密な死因を問わずに幅広に含める」という方針で各自治体から収集されたものです。2021年9月に東京都でコロナ感染者の少年が死亡し10代初の死亡例と報じられた事案は、NTV等の報道では死因は事故死であり、死亡後の検査が陽性だったとの事でした。また、集英社オンライン(2023.05.10)上では、保健所職員の証言として「寿命で亡くなっただけなのに、PCR陽性判定でコロナ死とされている例が何百もあります」とも報じられています。増幅回数の設定、検査機の洗浄状態、検査技師の力量など様々な理由からPCR検査が偽陽性判定を出す問題も知られるのですが、上記のコロナ死の統計はその検査陽性をベースにしています。
(「新型コロナ」用のPCR検査の開発においては、上海の研究所チームが世界で初めて「新型コロナウイルス」を単離、ゲノム解析して論文としてネイチャー誌に投稿したのが、武漢の患者から検体を採取したわずか12日後の1月7日。その研究所は投稿の5日後に閉鎖が決まったとSCMP紙が報道。そのゲノム解析を基に「新型コロナ」用のPCR検査を開発したとされるドイツのドロステン博士らの論文はユーロサーベイランス誌に1月21日に投稿、翌22日にアクセプトされ、ワシントンポスト紙によるとその後、同論文を基に作られたコロナ用PCR検査キット100万個がWHOにより各国に配布された、といった一連の高速展開には驚きを禁じ得ません。なお、同年1月30日にNEJM誌に掲載のドイツでの無症状者からの感染発生の報告も上のドロステン博士も参加するチームからのものでした)
さて、関連死者数62,000人という数字を一旦、真に受けてみるとしても、2013年の厚労省による日本での喫煙による超過死亡の推計は13万人とされています。1年間の喫煙が原因と考えられるものだけでコロナ3年分の2倍以上の人が亡くなっている事になりますが、それでも我々は喫煙者がバタバタ死ぬので喫煙は恐ろしいという体感を抱きません。これだけ騒がれながらコロナは、ほとんどの日本人にとって「周囲で誰も死なないパンデミック」でした。日本でのコロナ禍とやらは中世のペスト禍に比べるべくもありません。コロナ騒ぎでは、この程度のリスクを恐れて、人々の活き活きとした自由な生活を停止させ、夢をかけ苦労して築いた店・会社の自主廃業・倒産、女性や若年者の自殺者増、引き籠った高齢者の身体機能低下や認知症の進行…などを招き、かけがえの無い青春の時間、残りの知れぬ老後の時間の楽しみや、それに向け努力を重ねたスポーツ大会、就学、留学、旅行など各自が思い思いの希望を託していた貴重な機会を喪失させ、薬害をも引き起こした事になります。
累計死者数わずか191人(当時報道)で始められた「自粛期間」を耐え、多くがマスク・予防接種をしたのに陽性者は大幅増していきました。各国が既にコロナ対策をほぼ停止しつつあった2022年中、世界トップ水準の予防接種率とマスク率だった日本は、飛びぬけて陽性者数の多い国となっていました。対策のお陰で被害を大幅に抑えられたというのなら、2020年のうちからほぼ対策をせず、2021年5月には全廃したフロリダ州などは大変な惨事になっているはずですが、同州のコロナ死者数は全米の平均程度です。
ほとんどの「対策」は、市中の咳症状などの発症者対策よりも(今だに大半の人が手を口に当てて咳をします)、有意にあるかどうかも定かではない無症状者からの市中感染 (2020年12月、JAMA誌掲載のメタ分析論文で二次感染が起き易い家庭内感染における不顕性・発症前感染率は0.7%とされた)に早期から焦点が向けられていました。ロックダウン/自粛、ユニバーサル・マスク(全員マスク)、ソーシャル・ディスタンス、無症状者への集団PCR検査、予防接種証明や陰性証明の要求、入院中・施設入居中の家族との面会制限、海外での予防接種パスポートなどの健康な人を巻き込む「感染対策全体主義」的政策が出てきたのは、それ故です。
予防接種が「思いやり」と言われたり、渡航時に接種証明が要求されたりするのに、予防接種には感染予防効果がほぼ期待できぬというおかしな事も世界中でまかり通っていました(2022年3月、ファイザー社CEO(当時)は、「感染予防効果はあまり高くない」と発言。2021年8月には米政府・疾病対策センター長(当時)が、コロナ予防接種は伝染を防がないと発言)。日本政府は「接種によるIgG抗体は上気道表面における分布が少ないことから、ウイルスによる感染を予防する効果はそれほど高くない」と2021年12月に答弁を出しながら、翌2022年4月には「接種をすることで、感染そのものを防ぐ効果」があると若者向けに広報しています。司法解剖で予防接種による心筋炎等が死亡原因と診断された、基礎疾患の無い女子中学生が3回目摂取の45時間後に亡くなったのは2022年8月の事です。一方で、2021年と2022年に起こった戦後最大の日本人の大量死や出生数減少の原因は曖昧なままですし(空き病床は多くあったとされ、医療逼迫が原因とは思えません)、予防接種健康被害救済の認定もまだ緩慢です(但し、昨年、急に20~30代の発生を聞くようになった帯状疱疹も予防接種健康被害として認定される例が出始めています)。
人類が予防接種で生起中のパンデミックを解決したという実績はこれ迄ありませんし(我々は「バイオハザード」や「感染列島」などの見過ぎかもしれません)、いずれにしても生得的な免疫力の維持・更新はとても重要です。「新型コロナ」のような、まず消滅する事が期待できない感冒系の感染症については、この程度の病態であれば健康な国民はできるだけマイルドな形で、ある程度罹患していくべきで、回避・自己隔離策だけを続けていくと、国民全体としての自然な免疫力が脆弱化してしまいます。
防衛・安保政策では、日本の自由で民主的な社会を守る為に(「国民の生命財産」ではありません)、自衛官のみならず、数万~数十万の市民の犠牲を覚悟で防衛戦争を行う事を前提にしています。一方、コロナ騒ぎでは事実上、平均寿命付近の高齢者等のハイリスク者を守る為に、市民的自由・私権・人権や財産の毀損をある程度問わずに社会全体を長期統制するという事が行われました(ハイリスク者を保護し、他の人は平常通り暮らすという考え方は初期から提唱されていました)。これは大きな矛盾です。生命は重要ですが、活き活きとした社会での国民の人生の質(QOL)の考慮無きただの延命は自由民主主義国家の論理ではありません。
危機の恐怖感は政治権力を拡大させます。出自であるローマ帝国以来、本家本元の欧州でさえ制御に失敗し続けてきた国家緊急権(緊急事態条項)など日本の政治にはリスクが高過ぎますし、まして、国家主権の一部を事実上放棄して疫病対策での自立自存を、中立性への疑義が言われるWHO等の国民の手の届かない国際組織に委ねるような事はあってはならない事です。
さて、当コラムでは危機管理論の立場から、問題だらけのコロナ騒ぎを四年間採り上げてきましたが一旦落着とし、そろそろ本来の専門領域に立ち返ろうと思っています。勿論、感染対策全体主義への警戒は続けていくつもりです。
2023/11/20 更新
日本で初の陽性者が出たとされる2020年1月16日からの丸三年での「新型コロナ」による一般公表死者数は約62,000人という事になっています。但しこの死者数は、「コロナで検査陽性だった人が死亡すれば厳密な死因を問わずに幅広に含める」という方針で各自治体から収集されたものです。2021年9月に東京都でコロナ感染者の少年が死亡し10代初の死亡例と報じられた事案は、NTV等の報道では死因は事故死であり、死亡後の検査が陽性だったとの事でした。また、集英社オンライン(2023.05.10)上では、保健所職員の証言として「寿命で亡くなっただけなのに、PCR陽性判定でコロナ死とされている例が何百もあります」とも報じられています。増幅回数の設定、検査機の洗浄状態、検査技師の力量など様々な理由からPCR検査が偽陽性判定を出す問題も知られるのですが、上記のコロナ死の統計はその検査陽性をベースにしています。
(「新型コロナ」用のPCR検査の開発においては、上海の研究所チームが世界で初めて「新型コロナウイルス」を単離、ゲノム解析して論文としてネイチャー誌に投稿したのが、武漢の患者から検体を採取したわずか12日後の1月7日。その研究所は投稿の5日後に閉鎖が決まったとSCMP紙が報道。そのゲノム解析を基に「新型コロナ」用のPCR検査を開発したとされるドイツのドロステン博士らの論文はユーロサーベイランス誌に1月21日に投稿、翌22日にアクセプトされ、ワシントンポスト紙によるとその後、同論文を基に作られたコロナ用PCR検査キット100万個がWHOにより各国に配布された、といった一連の高速展開には驚きを禁じ得ません。なお、同年1月30日にNEJM誌に掲載のドイツでの無症状者からの感染発生の報告も上のドロステン博士も参加するチームからのものでした)
さて、関連死者数62,000人という数字を一旦、真に受けてみるとしても、2013年の厚労省による日本での喫煙による超過死亡の推計は13万人とされています。1年間の喫煙が原因と考えられるものだけでコロナ3年分の2倍以上の人が亡くなっている事になりますが、それでも我々は喫煙者がバタバタ死ぬので喫煙は恐ろしいという体感を抱きません。これだけ騒がれながらコロナは、ほとんどの日本人にとって「周囲で誰も死なないパンデミック」でした。日本でのコロナ禍とやらは中世のペスト禍に比べるべくもありません。コロナ騒ぎでは、この程度のリスクを恐れて、人々の活き活きとした自由な生活を停止させ、夢をかけ苦労して築いた店・会社の自主廃業・倒産、女性や若年者の自殺者増、引き籠った高齢者の身体機能低下や認知症の進行…などを招き、かけがえの無い青春の時間、残りの知れぬ老後の時間の楽しみや、それに向け努力を重ねたスポーツ大会、就学、留学、旅行など各自が思い思いの希望を託していた貴重な機会を喪失させ、薬害をも引き起こした事になります。
累計死者数わずか191人(当時報道)で始められた「自粛期間」を耐え、多くがマスク・予防接種をしたのに陽性者は大幅増していきました。各国が既にコロナ対策をほぼ停止しつつあった2022年中、世界トップ水準の予防接種率とマスク率だった日本は、飛びぬけて陽性者数の多い国となっていました。対策のお陰で被害を大幅に抑えられたというのなら、2020年のうちからほぼ対策をせず、2021年5月には全廃したフロリダ州などは大変な惨事になっているはずですが、同州のコロナ死者数は全米の平均程度です。
ほとんどの「対策」は、市中の咳症状などの発症者対策よりも(今だに大半の人が手を口に当てて咳をします)、有意にあるかどうかも定かではない無症状者からの市中感染 (2020年12月、JAMA誌掲載のメタ分析論文で二次感染が起き易い家庭内感染における不顕性・発症前感染率は0.7%とされた)に早期から焦点が向けられていました。ロックダウン/自粛、ユニバーサル・マスク(全員マスク)、ソーシャル・ディスタンス、無症状者への集団PCR検査、予防接種証明や陰性証明の要求、入院中・施設入居中の家族との面会制限、海外での予防接種パスポートなどの健康な人を巻き込む「感染対策全体主義」的政策が出てきたのは、それ故です。
予防接種が「思いやり」と言われたり、渡航時に接種証明が要求されたりするのに、予防接種には感染予防効果がほぼ期待できぬというおかしな事も世界中でまかり通っていました(2022年3月、ファイザー社CEO(当時)は、「感染予防効果はあまり高くない」と発言。2021年8月には米政府・疾病対策センター長(当時)が、コロナ予防接種は伝染を防がないと発言)。日本政府は「接種によるIgG抗体は上気道表面における分布が少ないことから、ウイルスによる感染を予防する効果はそれほど高くない」と2021年12月に答弁を出しながら、翌2022年4月には「接種をすることで、感染そのものを防ぐ効果」があると若者向けに広報しています。司法解剖で予防接種による心筋炎等が死亡原因と診断された、基礎疾患の無い女子中学生が3回目摂取の45時間後に亡くなったのは2022年8月の事です。一方で、2021年と2022年に起こった戦後最大の日本人の大量死や出生数減少の原因は曖昧なままですし(空き病床は多くあったとされ、医療逼迫が原因とは思えません)、予防接種健康被害救済の認定もまだ緩慢です(但し、昨年、急に20~30代の発生を聞くようになった帯状疱疹も予防接種健康被害として認定される例が出始めています)。
人類が予防接種で生起中のパンデミックを解決したという実績はこれ迄ありませんし(我々は「バイオハザード」や「感染列島」などの見過ぎかもしれません)、いずれにしても生得的な免疫力の維持・更新はとても重要です。「新型コロナ」のような、まず消滅する事が期待できない感冒系の感染症については、この程度の病態であれば健康な国民はできるだけマイルドな形で、ある程度罹患していくべきで、回避・自己隔離策だけを続けていくと、国民全体としての自然な免疫力が脆弱化してしまいます。
防衛・安保政策では、日本の自由で民主的な社会を守る為に(「国民の生命財産」ではありません)、自衛官のみならず、数万~数十万の市民の犠牲を覚悟で防衛戦争を行う事を前提にしています。一方、コロナ騒ぎでは事実上、平均寿命付近の高齢者等のハイリスク者を守る為に、市民的自由・私権・人権や財産の毀損をある程度問わずに社会全体を長期統制するという事が行われました(ハイリスク者を保護し、他の人は平常通り暮らすという考え方は初期から提唱されていました)。これは大きな矛盾です。生命は重要ですが、活き活きとした社会での国民の人生の質(QOL)の考慮無きただの延命は自由民主主義国家の論理ではありません。
危機の恐怖感は政治権力を拡大させます。出自であるローマ帝国以来、本家本元の欧州でさえ制御に失敗し続けてきた国家緊急権(緊急事態条項)など日本の政治にはリスクが高過ぎますし、まして、国家主権の一部を事実上放棄して疫病対策での自立自存を、中立性への疑義が言われるWHO等の国民の手の届かない国際組織に委ねるような事はあってはならない事です。
さて、当コラムでは危機管理論の立場から、問題だらけのコロナ騒ぎを四年間採り上げてきましたが一旦落着とし、そろそろ本来の専門領域に立ち返ろうと思っています。勿論、感染対策全体主義への警戒は続けていくつもりです。
2023/11/20 更新