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外務省文書公開の落とし穴


2023年12月
名越健郎
 年末恒例の外務省の外交文書公開が行われ、今年は1992年を中心に宮澤内閣時代の外交文書約6500ページが解禁されました。12月21
日付の新聞に概要が掲載されており、各紙は「天皇訪中、お言葉焦点化回避」「米大統領、選挙控え、日米摩擦で首相に『助けて』」といった見出しで報じていました。

 「天皇訪中で橋下大使が共同通信に圧力」など、意外な文書もありましたが、外務省に都合の悪い文書はほとんど公表されていないようです。

 筆者が1992年版で最も注目していたのは、ロシアとの北方領土交渉でした。ソ連邦崩壊の翌年で、当時のエリツィン大統領は「北方領土問題を必ず解決する」と公言し、日本側に柔軟な解決策を打診していました。

 92年3月、コズイレフ外相、クナーゼ外務次官が訪日し、渡辺美智雄外相に対し、①歯舞、色丹の返還協議②
国後、択捉の帰属協議-を同時並行で進め、解決したら平和条約締結という柔軟な秘密提案を非公式に示しましたが、日本側は「4
島返還ではない」として却下しました。

 領土交渉は曲折を経た後、プーチン政権は強硬姿勢を強め、ラブロフ外相は12月、「日本との領土問題は終わった」と発言しています。

 戦後78年を経て、北方領土問題を日本に有利な形で解決するチャンスは、ソ連崩壊直後の一時期だけでした。筆者は当時、記者としてモスクワにいましたが、92年の日本の経済規模はロシアの42倍で、ロシアでは、圧倒的先進国の日本から援助を得られるなら、領土割譲は仕方がないといった雰囲気がありました。

 日本外務省は千載一遇の好機をなぜ座視したのか。ロシア側とどのようなやりとりがあったのか。元島民だけでなく、誰もが知りたいところですが、情報公開は一切ありませんでした。

 外務省の情報公開は1976年に始まり、民主党政権時代から外部識者の審査を経て公表されていますが、基本的に外務官僚が統括しています。「現在の外交交渉に影響を与える部分は非公開」という名目で、都合の悪い文書は公開しないようです。

 米国では、中央情報局(CIA)関係を除いて、政府に都合の悪い文書も「30年ルール」に沿って原則的に全面公開しており、日本は遅れています。

 毎回、文書公開をありがたがって紙面を割くメディア側にも問題があり、非公開文書の闇を追及すべきでしょう。